2020/09/26

浜松城 現地説明会@35次発掘調査

200927_2664 本丸の北東隅の石垣を確認。後世の改変が激しい浜松城東側での発見は、かなり奇跡的か。

現場は元城小学校跡地。更地となった敷地から天守を見上げると、浜松城って東側から見るお城なんだなと感じる。

最大の疑問は、地表面の高さ。石垣が見つかった部分が本丸ということは、現在家康像が建つところと同じ地表面高さだったということ? 現状、公園通路と旧小学校と地表面が階段状に下がるが、後世、相当量の地面を削ったということだろうか?

..とつぶやいていると、同行した母さん

母:土砂を(小学校の北西の谷)に埋めて、整地したんじゃない?

確かに二の丸北西は絵図では屏風折れだが、現状は平地が拡張されている。現説会でも「谷は埋められている」と説明あり。

案外、母さんが正解なのかもしれない。

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このほか
・発見された石垣が造られた時代。(天守曲輪と似た特徴から堀尾氏だろうが、そこまで大規模に城整備できたのだろうか?)
・石垣が谷斜面に沿って構築。
・裏門は当初正門だった可能性。

など、この部分だけで、ご飯3杯いける内容でした。
だから、現場で配布された資料が厚紙カラー版だったのかと、みょーに納得。

※ 天然石による算木積み志向の石垣や、本丸-二の丸間の急こう配(60度!)な水堀の写真は、発掘調査報告書(9/27 朝 アップロード済み!)を拝んでね↓
■浜松市 遺跡の発掘状況
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/bunkazai/hakkutsu/hakkutsu.html

[写真]
浜松城天守を東側からのぞむ。右下、トレンチから頭をのぞかせる白い石材が今回発掘された本丸石垣。小学校のうさぎ小屋があった場所(by母さん)

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2020/02/22

天守台発掘調査現場見学会@駿府城

200225_1292 強雨にかかわらず、執念で説明会を実施した職員の方々に感謝。

成果については、1/23に報告済みなので、現地で石垣を拝むことが目的。しかし、天正期(豊臣)と慶長期(家康)の石垣ラインが入り混じっていて、正直よくわからん。

唯一明確にわかったのが、慶長期天守台と二の丸につながる石垣とそこにかかる木橋の痕跡。木橋の柱穴 8カ所を検出。その構造は名古屋城大天守東側の不開門のような感じ。それまで駿府城=単純な輪郭式から、しゃれたイメージに変化。

これで、4年間の駿府城天守台関係の調査終了。今後どうなるか..その結果は、雨に濡れて黒光りする石垣だけが知っているのかも?

[写真]慶長期天守台(手前)と二の丸石垣(奥)。雨で遊具遊びは我慢でした。<こぞう

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2019/07/20

駿府城発掘調査現場公開

190814_7834

1) 戦国時代末期の道と石垣、2)江戸時代の城代屋敷跡を確認。
このうち、1)の根拠として2点を説明。

・道路が江戸初期と今川時代の間の地層から出てきた
・割石を含むが、自然石を主とした石垣(=豊臣期天守台に近い)

道は東西方向に延び、幅2.7m、長さ30m以上。石垣の裏込め石が50cm以上と分厚く、数段と推定する石垣よりも、もっと高さがあったのではと想像する。

場所は、駿府城の東南、旧青葉小学校の跡地。2021年度開館予定の静岡市歴史文化施設への影響は必至..というより、施設は必要?

# 山形城の整備を見習ってほしい。明治以降、よく似た経歴なのに..

写真:発掘された道と石垣。西側から東を見る。
新聞報道は→こちら

 

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2019/01/29

完全予約制@竹田城 現地説明会

先着30名。1/22に受付開始しているから、すでに定員締め切だろうが..
そのうち「会員制 現地説明会」なんてのもできたりして(笑)

凸 朝来市 文化財課
http://www.city.asago.hyogo.jp/0000007879.html

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2016/04/16

岡崎城跡菅生川端石垣調査 現地説明会

160417__5803発見された石垣は 高さ5mx長さ400m=2,000m2で、約10億円の埋蔵金を見つけたことになるそうで(笑

寛永~正保元(1644)に築かれた菅生川端石垣。同一の石垣ラインが400m続くのは日本最長。また、石垣の途中3ヶ所の横矢桝形(*)は、約100mの間隔で設けられているが、これは鉄砲の殺傷能力(50~60m)を考慮したもの。
以上が三浦せんせのお話。

岡崎城の魅力が、一つ増えました。

(*) 旧来の横矢+櫓セットだったが、櫓の維持費が不要になる等の理由で、旧17C中期以降に多様された。

[写真] 対岸から撮影。右端の松の木から左端までが約300m。石垣の露出部分が高さ2m、河川敷の地表~水面までが約2mなので、5mの石垣が連なる壮観な姿はおおよそ想像できるだしょう。

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2016/02/27

諏訪原城 現地説明会

160304__4762調査区域が、従来の諏訪原城の西側(*)から、南側へ移動。2015年度は、重ね馬出のひとつである「ニの曲輪東馬出」でした。

■2015年度 調査結果
・深さ8mの薬研堀
・門跡とみられる礎石が出土
・鉄砲玉が多数出土

木々が打ち払われ、小さな馬出が相互に連携している姿が読み取れるようになりました。また、現場説明の前に、諏訪原城の概要解説も実施され、かなり濃い内容でした。

それ以上にビックリは、本格化した公園整備のようす。駐車場から二の丸中馬出方面への遊歩道が整備中でした。これまでの、うっそうと木々に囲まれた姿はほとんどありません。

[写真] 調査区域全域を西側から撮影。右側トレンチが薬研堀。左側が馬出の郭面で、曲輪入口部(立木の右側)に門の礎石が2ヶ出土。

(*) 2008年度2011年度2012年度

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2015/09/12

松下屋敷 現地説明会

150913_0893松下屋敷を囲む土塁の北西部分を狙って、トレンチ2本。
豪雨の影響で調査が遅れており、説明会時点では、土塁外側で、後世に堀を埋めた後を確認したにとどまるとのこと。(土塁の傾斜 45~50°)

# ヤブ蚊対策で長ズボンでいったけど、草刈りしてあって感心した。
# 説明会のあと、磯田せんせによるミニ講演。井伊直虎もさっそく絡めるのはサスガである。

[写真] トレンチの土色に注目。(手前)黄色が後世の埋め立て、(奥)黒色が土塁の土。
人影の後ろが、いつもお世話になっているかっ○寿司(=松下屋敷の中心部)

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2014/10/19

浜松城跡 発掘調査現地説明会(第12次調査第2期)

141019_7132参加者多数で大盛況!

今回確認された堀は、浜松城の正門となる鉄門(本丸虎口)のすぐ西側。堀尾期の石垣を確認した、本丸南土塁の南側になります。堀は東西方向に広がり、現在の地表面から約2mの深さ。ただ、本来の地表面は今より1m高かった(*1)ため、本来の深さは3mだったとのこと。幅は11m。堀の斜面は緩やかな印象。

特徴的なのは、地層から堀が丁寧に埋められていたことから、堀を埋めた場所を平場として活用しようとした意図が読み取れるということです。

なお、家康時期の堀であるということは、新聞報道のとおり、出土物と地層から推定したものでした。(*2)

本丸南土塁の上から、今回確認した堀を見下ろす。お城への入口前に、家康期の堀、堀尾期の石垣が出てきた。こりゃ、計画再考が必須?

(*1) 本丸南土塁に築かれた石垣の基底部より、現在の地表面は1m低くなっている。後世の作事で地面が削られたものと推測。

(*2) 出土品のうち本丸南土塁下から出土した「軒丸瓦(三巴紋)」が石垣山城と類似しており、豊臣系の瓦=堀尾氏が使用したと推測しています。

[写真] 人影ならOKですよね?(笑)
(説明:コンクリ塀が本丸南土塁。このなかに見える石垣が堀尾期のものと推定。一方、家康期の堀は赤ビニールテープで目印された部分。なお、堀の真ん中の四角いコンクリ片は、取り壊した駐輪場の基礎部分。)

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2014/10/02

[予告]浜松城跡 発掘調査現地説明会

141002_626910/5(日)必見です。10時と13時半に説明があります。

# 東海しろあとセミナーで、先行見学ができましたので、少し書き足しておきます。

1) 本丸南土塁の石垣
新聞報道でも大きく取り上げられているとおり、コンクリ塀の裏に、石垣が良好な状態で残っていることを確認。黒金門からつながる石垣。大振りな自然石が使われていることに注目したい。

2) 西端城曲輪の空掘
西端城曲輪は清水曲輪の北西方向にある、天守曲輪から一段下がった曲輪のこと。絵図では天守曲輪と西端城曲輪の間に空掘が描かれているが、今回の調査で絵図と同じ堀を確認。その規模の大きさが驚きで、堀の深さは3m以上(危なくて、それ以上掘るのをやめた)、幅も目算10m以上[写真]。天守曲輪の直下に空掘を築く必要性は、少々不思議であるが、土づくりだった浜松城の面影がここにあるのかもしれない

[写真] 天守曲輪(写真手前)から2)の空掘のトレンチを見下ろす。公園園路の縁石は無視して、柵の根本から配管までが空掘の幅になります。

■浜松市チラシ
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/bunkazai/documents/h26hamamatsujogensetsutirasi.pdf
発掘調査でチラシを作るなんて珍しい?

■中日新聞(10/2)
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20141002/CK2014100202000109.html
■静岡新聞(10/2)
http://www.at-s.com/news/detail/1174128661.html
##追加##
■産経新聞(10/3)
http://www.sankei.com/region/news/141003/rgn1410030038-n1.html
■毎日新聞(10/3)
http://mainichi.jp/feature/news/20141003ddlk22040212000c.html

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2014/09/21

二俣城 現地説明会

140922_593413:30 鳥羽山城 駐車場スタート、15:00 二俣城 西曲輪で終了。ストーリー性のある現説会でした。

※西曲輪は、現在「ま○し注意」の看板がある遊具広場のことです。
※説明箇所には危険箇所や私有地が含まれるため、当日以外は立ち入らないようにとのお願いがありました。

【調査結果】
■これまで調査をしていない二俣城の西側地区を調査した。
1) 西曲輪の南側斜面に石垣(総延長13m以上、高さ6m)を確認。石垣の上部に裏込めが遺存していることを確認。また、西曲輪を細かな石を含んだ土で整地していることが判明。
2) 石垣の下部に石材が2つ埋没していることを確認。1.2m幅で整地されていることを確認。
3) 西側の曲輪群を中心に倒木などを整理し、周辺の遺構(曲輪、土塁、竪堀)が確認できるようになった。

【感想】
■1)の石垣。新聞報道の写真でその規模に驚かされたが、実際に目の当たりにすると整然と並ぶ石材からの迫力がスゴイ。二俣城の正面(東側)に匹敵する石垣が城の裏手になぜ、と疑問がわくが、古い地籍図には旧二俣川北岸の川口集落(川湊と考えられる)からこの石垣付近を通過して、城内へ入る道が記されていたとのこと。つまり、鳥羽山城の腰巻石垣のように河川からの景観を意識するだけでなく、実際の登城ルートを意識したものだったと理解した。

# なお、この石垣は旧二俣川方面を向いています。彼岸花とともに。
# 探し求めていた石垣はこのことだったのかな。

■サプライズだったのが、3)の成果。川口集落から大手門への道を想定して、
西曲輪の南面斜面→竪堀を登る&小曲輪の土塁を確認→公園道→二の丸南側の堀底道→大手門
とたどる。夏過ぎにも拘わらず、土づくりの防御ラインを体感する。通常、二俣城の通路として北東方向が意識されるが、この裏側となる今回のルートは、二俣城の違った一面を感じることができた。

■家族のみんな(こぞう含む)へ
上記以外にも、今日の説明会で
・前座として、鳥羽山城の本丸東側の通路、本丸北側の遊歩道を通過
・二俣城 二の丸・本丸について過去の調査成果を含め解説(2010年2011年2012年2013年
・さらに、二俣城 南側の蔵屋敷・南曲輪まで足を延ばす
とは思っていませんでした。

これだけ充実した現地説明会はなかなかないから、許してね。

【写真】 このあと、こぞうは資料をくしゃくしゃにしてしまう。不思議と蚊に刺されませんでした。(一番人気はふぅちゃんでした)

【新聞より】
中日新聞(9/19)
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20140919/CK2014091902000068.html
静岡新聞(9/19)
http://www.at-s.com/news/detail/1174124365.html

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