浜松城 現地説明会@35次発掘調査
本丸の北東隅の石垣を確認。後世の改変が激しい浜松城東側での発見は、かなり奇跡的か。
現場は元城小学校跡地。更地となった敷地から天守を見上げると、浜松城って東側から見るお城なんだなと感じる。
最大の疑問は、地表面の高さ。石垣が見つかった部分が本丸ということは、現在家康像が建つところと同じ地表面高さだったということ? 現状、公園通路と旧小学校と地表面が階段状に下がるが、後世、相当量の地面を削ったということだろうか?
..とつぶやいていると、同行した母さん
母:土砂を(小学校の北西の谷)に埋めて、整地したんじゃない?
確かに二の丸北西は絵図では屏風折れだが、現状は平地が拡張されている。現説会でも「谷は埋められている」と説明あり。
案外、母さんが正解なのかもしれない。
---
このほか
・発見された石垣が造られた時代。(天守曲輪と似た特徴から堀尾氏だろうが、そこまで大規模に城整備できたのだろうか?)
・石垣が谷斜面に沿って構築。
・裏門は当初正門だった可能性。
など、この部分だけで、ご飯3杯いける内容でした。
だから、現場で配布された資料が厚紙カラー版だったのかと、みょーに納得。
※ 天然石による算木積み志向の石垣や、本丸-二の丸間の急こう配(60度!)な水堀の写真は、発掘調査報告書(9/27 朝 アップロード済み!)を拝んでね↓
■浜松市 遺跡の発掘状況
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/bunkazai/hakkutsu/hakkutsu.html
[写真]
浜松城天守を東側からのぞむ。右下、トレンチから頭をのぞかせる白い石材が今回発掘された本丸石垣。小学校のうさぎ小屋があった場所(by母さん)
最近のコメント