2020/10/18

記念講演会「浜松城と家康の城」

くねりが洗練された?..千田せんせの講演。聴講は10年ぶりだからなぁ。

「浜松城と家康の城」を題名に、家康のお城づくりがその後のお城づくりの原点になったことを解説。

1)詰曲輪・天守曲輪=浜松城(・安土城・豊臣大坂城)
2)連立天守=慶長期江戸城(・姫路城)
3)大小天守連立=名古屋城
4)天守単独=寛永期江戸城

1)、2)が最強の「軍事要塞」を目指すことに対し、3)、4)は本丸の敷地を圧迫しない「政庁」を目指した、が総括でした。

でもね、上記の本論より収穫なのが、家康時代の浜松城の防御施設として読み取れるパーツが、本丸・黒金門外の広場空間としたこと。岡崎城古宮城を事例に、この広場空間が馬出構造とみなすことができる。浜松城の縄張で「浜松城の登城ルートが、三の丸・大手門⇒本丸・黒金門であり、二の丸を経由しないのはなぜ?」と疑問を持っていたkokky。なるほど、ルート途中に馬出。二の丸は横矢掛けと考えれば合点がいきそうです。

ちなみに、この広場空間の土塀が、絵図では内側にくねっていることにせんせは注目。至近距離に迫る敵に対し、正対では死角となり攻撃できないが、内折れなら最後まで攻撃できるとのこと(類例 山形城二の丸)。西尾城の屏風折れ土塁(外折れ)との対決をお願いします。


■家康公浜松城築城450年記念事業
特別展「浜松城-築城から現代へ-」⇒展示会の感想は、こちら

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2020/01/23

駿府城跡天守台調査報告会

200126_0229報告会の会場が、驚きの「市民文化会館 大ホール」! でしたが、位置・時代の異なる天守台と小天守台(+ 今川期の堀跡)を確認した発掘調査結果から相応かもしれません。

加藤せんせは全国の天守台の整備事例を紹介するなかで(*1)、整備の目的を熟考する必要性を繰り返していました。

ただ、開会のあいさつで、「市民のみなさんが令和時代に駿府城をどう活用するか考えてほしい。ゆだねたい」では、結局、みんな困ってしまうのではないでしょうか? 「近い将来、決めたいと考える」の「将来」はいつなんでしょうかねぇ。

いっそ、討論会(*2)で「天守閣は建てるんですか?」と、おねえさんからすっとぼけた発言があったらよかった..かも?(笑

(*1) 昔訪れたお城も再訪せねばなりません(例 大洲城、臼杵城)
(*2) 明治22年 陸軍(*3)が駿府城を払い下げの価格は12千円とのこと。
(*3) 陸軍に埋め立てられた山形城の整備事例も紹介してほしかった。

(1/19開催、前座で籠鼻砦(賤機山城)を攻める)

■記事
1/20 静岡新聞:駿府城天守台跡、あふれる魅力 静岡で発掘報告会
https://www.at-s.com/news/article/culture/shizuoka/727958.html
1/23 NHK静岡:駿府城再建団体会長が保存を支持
https://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/20200123/3030005521.html

■myブログ(すこし歯抜けだけど)
2010.03.27 天守復元見送り@駿府城
http://kokky.way-nifty.com/4646/2010/03/post-682d.html

2014.08.26 まず天守台を整備へ@駿府城
http://kokky.way-nifty.com/4646/2014/08/post-1ce1.html

2014.09.02 駿府城天守台復元へ第3次総合計画案
http://kokky.way-nifty.com/4646/2014/09/post-2c64.html
http://kokky.way-nifty.com/4646/2014/09/post-9d42.html

2016.06.10 駿府城 発掘調査員募集
http://kokky.way-nifty.com/4646/2016/06/post-3566.html

2019.02.09 駿府城天守台跡、野外展示へ 21年度めどに静岡市整備
http://kokky.way-nifty.com/4646/2019/02/post-9c3e96.html

2020.01.07 大御所の天守台の横に、秀吉の天守台、さらにその横に小天守台?
http://kokky.way-nifty.com/4646/2020/01/post-984c0a.html

■山形市:山形城(霞城公園)
http://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/shiseijoho/sub14/koen/ecb45kajou.html

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2019/11/16

講座「東海地方と水中の文化遺産」

191119__9157 初島沖の葵御門の鬼瓦、幡豆周辺の石切場、そして吉田城に接する豊川の水中調査。

屋良部沖海底遺跡では、現地に残る四爪錨と古文書を整合させて、沈没船の推定を実施。

水中遺跡というと、琵琶湖の海底都市と海城(能島城、来島城、甘崎城)のピットぐらいしか想像つかず、正直なじみがないお話。しかし、お城ゴコロをくすぐるアイテムが続出し、眠る暇なしの快挙!

「(保存のため)遺物は引き揚げず、観たい人は潜ってください」は思わず、ニヤリでした。

# 講演会は久しぶりでした。(調べたら、2016年12月 東海しろあとセミナー@浜松 以来でした。)

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2016/11/12

たいへんでした@幸田町・島原市 歴史と文化の友好交流シンポジウム 深溝城から島原城へ

161113_01429km歩くはめに

ひさびさのお城x講演会なのに、先行する貨物列車が三河塩津駅で人身事故。
このため、蒲郡駅で運転見合わせとなり、さてどうしよう。
一人じゃタクるのももったいないし..、1時間40分歩きました、これもシンポのため。

# おかげで、愛知工科大学の前で東西三河の境界を体感したことが収穫。
蒲郡市(豊橋ナンバー)→幸田町(岡崎ナンバー)
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で、お目当てのシンポのメモ。
・150名? 朝は大入り。
・深溝は「ふこうず」と読む
・深溝松平氏の4代は、「家忠日記」の松平家忠。”土木大名”
吉田城シンポジウムから進歩していた@吉田城(*)
・CGどおり整備できるか@刈谷城
・パワポなしで1.5h>中井せんせ
・天守閣がなければ@福知山城
・先魁門(さきがけもん)の改修 →ますます行きたくなった@島原城
・ちょっと会場さみしいな@パネルディスカッション

・幸田町の「島原藩主深溝松平家墓所」が2014年に国指定史跡になったこともあり、お城x墓が話題になった。浜松人として、ピンと感じたのが「信康まつり」。まず地元民が史跡への関心をもつことが、史跡活用の第一歩と感じた。

(*)吉田城の豊川沿い石垣は、名古屋城の石垣と同じ石材(幡豆(はづ)石)。
5代松平忠利が築く。
cf 鉄櫓の高石垣は、豊橋市北部のチャート・石灰岩。池田輝政が築く。

# 写真は大行列の蒲郡駅

■幸田町・島原市 歴史と文化の友好交流シンポジウム
深溝城から島原城へ -深溝松平家と幕藩体制下の城-
http://www.town.kota.lg.jp/index.cfm/12,37848,212,html
■人身事故(11/12 中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016111290125245.html

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2015/09/19

講演会「家康・信玄と三方ヶ原の戦い」

「(今日の講演では)研究における論争とは何かに踏み込んで話したい」-冒頭の説明が今回の講演のすべてでした。

講演の項目は3点。
1) 永禄十一(1568)信玄の駿河侵攻&家康の遠江侵攻
2) 元亀三(1573)信玄の遠江侵攻経路
3) 2) の信玄の目的(上洛戦、局地戦)

※ 1)は2)、3)の遠因としての前振りレベル

このうち、2) 経路として、2010年に駿河→遠江説の提唱後、2012に従来説(信濃→北遠)を支持する反論があり、その対応を史料を交えて説明。

こっきぃのような一般ピープルには、伝承を含む、自分の好きな(=都合のよい)説を主張すればよい。しかし、専門家は大違い。「重箱の隅」「(言葉悪く言えば)言いがかり」のような主張に対しても、丁寧に対応しなくてはいけない。日頃から感じているが、ホント大変だなと感じます。

最近、精力的な活動の本多せんせ、来月は二俣ですって。

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2015/07/04

平山優先生トークショー&サイン会

150918_0388「天正壬午の乱 増補改訂版」の刊行を記念した講演会。徳川、北条、上杉、真田、小笠原..大小勢力が5ヶ月という短期に混沌と入り乱れる「本能寺の変後の甲斐・信濃争奪戦」は、戦国臭さ(くささ)が凝縮していて面白いと思う。

ホント、話が上手で、聴講者を飽きさせない話ぶり。ややもすると理解しにくい内容を、時間経過とともにわかりやすく説明。立場が違うと状況の見え方も違うんだな。

# DMに載せられて、よかったな。

[写真]書店の一番奥の一室で開催

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2014/11/29

講演会「浜松城の景観を考える」~天守閣から見える戦後の日本~

「お城は何のために建てるのか?」

現在、浜松市が進める史跡公園整備からの視点での講演会&討論会。文化財課から中世期(今川・家康)の浜松城イメージ図(*)がでたけど、今回はお城を「これからどうしましょ」が主題なので、細かいことは誰もいわない(笑)。

(*) アバウトな想像図には思い切りが必要であり、こっきぃはけっこう好きです。

主題についてだが、今の整備の目的は何だろうか。「お城への関心をきっかけとして、地元の歴史や文化に興味をもつ」とするならば、建物や公園整備が正しいのだろうか。ひょっとすると、動物園や水泳場、体育館があったほうが、市民はお城を訪れたのではないだろうか。

普段なら「浜松城はどの時代をイメージして復元していくのか」「幕末の天守門と家康期の空掘は共存させるの?」と狭い範囲に関心を抱くところだが、これからは「どれだけお城へ訪れるきっかけを作れるか」が大切ではないかと思いました。

# 一番面白かったのは、講演日が、中日新聞の短期連載「天守再建◆よみがえるか駿府城」の最終回と重なったことかな(大笑)

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2014/10/18

特別記念講演会「水軍大名加藤嘉明-瀬戸内海時代の実像-」

知らないことは聞くのがイチバン。しかも、藤田先生が講演ということで、安城市歴史博物館へ行きました。

# 開演前に展示をみて、知識を付け焼刃しましたが(笑

講演は満席御礼(100人くらい?)。都合で60分に短縮されるが、ボリュームはそのままということで、軽快トークに濃厚さがプラスされます(笑)。内容は、加藤嘉明の話というより、城の話のオンパレード。特に松山城ネタは最後の20分間ずっとでした。城好きこっきぃには予定外の話ばかりで嬉しかった半面、もう少し嘉明自身の話も聞きたかった気もしますけど。

■メモ
・伊予一国はで、中国・九州を監視できる重要地。
・秀次事件で得したのは、加藤嘉明と藤堂高虎。
・慶長の役をきっかけに、嘉明と高虎は犬猿の仲へ。
・関ヶ原の戦いで、嘉明と高虎で伊予半国づつに。
しかし、お互いが建設中の城のそばに、監視の城を築くあり様。(*1)
-松山城(嘉明)に対して、高虎の塩泉城(湯築城)
-今治城(高虎)に対して、嘉明の拝志城
・寛永4年(1627)、嘉明の伊予20万石⇒会津40万石への転封は、高虎が秀忠に推挙したから。これをきっかけに仲直り。(*2)
・嘉明時代の松山城は、今と異なっていた
-天守はなかった?、大手口は東側だった?(*3)、町屋も違った?

(*1) 嘉明は、隣国国境にも城を築く。大除城(*4)、川之江城、壬生川城
(*2) 講演では美談として取り上げたが、どうも素直にうけとれない(^^;
-「会津は遠い、寒い」「松山城の完成直前」「水軍大名が内陸部へ(来島氏ほどの意味はないかもしれないが)」
(*3) 高虎の塩泉城が仮想の敵
(*4) 登り石垣あり。支城レベルに配置した珍しい。

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2014/09/27

東海しろあとセミナー

終日穏やかな雰囲気で心地よかった。
浜松市文化財課が主催した講演会&現地説明会。参加者は約100人でしょうか。

午前中は講演会。最初に浜松市からの浜松城引馬城二俣城鳥羽山城の事例を紹介。最近の発掘調査事例をもとに堀尾氏関連の城郭として整理するにはちょうど良いイントロで終了。..と思いきや

「(防御ではなく)見せる城の転換期について、この後、話があると思いますが..」

と強引な振りがよかった。このあと、小牧山城、岐阜城の報告につながりました。

小牧山城、岐阜城は、8月の新・清洲会議でも調査報告があったから、話がかぶるかもと心配しました。しかし、小牧山城は主郭部分、岐阜城は信長居館に限定した内容であり、興味深く聞きました。発掘調査の詳細だけでなく、発掘調査成果の視点から、日本の城郭変遷や、現代の都市、観光との関連にまで話を広げるなど、カタイ話を上手くやわらかく説明する内容はオミゴトでした。

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午後は浜松城・引馬城に場所を移しての現地説明会。最近の発掘成果について、実際にその現場で説明を聞きます。その道中、たとえば「本丸は本来もっと広かった」等、細かな部分まで担当者から説明を聞けるのはゼイタクな時間。ひさびさに浜松城をゆっくり歩きましたが、城内の木々が整理されたおかげで、高さ方向へ重なる石垣の重厚感を麓からも感じられるようになりました。

# ときおりブルーインパルスの爆音で説明が中断してしまう。航空祭前日の浜松ならではですが(笑)
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帰路、クリエート浜松で「鉄道展」の張り紙を見つけ、建物へ吸い込まれる。ところが、大正7年と昭和10年代の浜松市の地図が展示されており、浜松城付近の地形および変化を読み取ることができた。これはミッケモンの収穫だった。

## 10/2追記 ##
午後の現地説明会で見た浜松城の発掘成果が発表されました。詳細は、こちら

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2014/08/23

シンポジウム「新・清洲会議」

140823_5486配布資料にひさびさビックリ。
A4 322ページ フルカラー。重みずっしり。もちろん無料。
吉田城シンポジウム級の大盤振る舞いでした。

シンポは、城下町の発掘報告というより、発掘した結果から考察(あるいは復元)しようというのが趣旨でした。報告時間が限られているので、土地勘や発掘成果を知っていないと、せっかくの報告も消化不良しちゃうって感じでした。

# 明日もでかけようと思います。さて寝よう。

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