記念講演会「浜松城と家康の城」
くねりが洗練された?..千田せんせの講演。聴講は10年ぶりだからなぁ。
「浜松城と家康の城」を題名に、家康のお城づくりがその後のお城づくりの原点になったことを解説。
1)詰曲輪・天守曲輪=浜松城(・安土城・豊臣大坂城)
2)連立天守=慶長期江戸城(・姫路城)
3)大小天守連立=名古屋城
4)天守単独=寛永期江戸城
1)、2)が最強の「軍事要塞」を目指すことに対し、3)、4)は本丸の敷地を圧迫しない「政庁」を目指した、が総括でした。
でもね、上記の本論より収穫なのが、家康時代の浜松城の防御施設として読み取れるパーツが、本丸・黒金門外の広場空間としたこと。岡崎城や古宮城を事例に、この広場空間が馬出構造とみなすことができる。浜松城の縄張で「浜松城の登城ルートが、三の丸・大手門⇒本丸・黒金門であり、二の丸を経由しないのはなぜ?」と疑問を持っていたkokky。なるほど、ルート途中に馬出。二の丸は横矢掛けと考えれば合点がいきそうです。
ちなみに、この広場空間の土塀が、絵図では内側にくねっていることにせんせは注目。至近距離に迫る敵に対し、正対では死角となり攻撃できないが、内折れなら最後まで攻撃できるとのこと(類例 山形城二の丸)。西尾城の屏風折れ土塁(外折れ)との対決をお願いします。
■家康公浜松城築城450年記念事業
特別展「浜松城-築城から現代へ-」⇒展示会の感想は、こちら
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