虎口1発KO@原城
本丸部分はタイトルの通り。これだけでお茶椀5杯。
二、三丸の広さでお茶碗5杯
とにかく驚きばかり。すごすぎる
写真:本丸虎口。U字状に囲まれた石垣の内側で、敵兵は180°ターンを強いられる
行程:
原城 ★★★★☆
有馬キリシタン遺産記念館:日野江城、原城、島原城の理解が深まる。コメント参考。
日野江城 ★★★☆☆:石垣を見れば、有馬氏の財力はどんだけ~!? サクラもいいけど、望む、階段遺構の見学
深江城 ★☆☆☆☆:石碑のみ。「民宿 深江城」 って?
丸尾城 ★☆☆☆☆:深溝松平家墓所 城跡の地形は読み取りにくい
寺中城 ☆☆☆☆☆:沼地のなかの丘陵地。地形はわかるが石碑なし。
三会城 ★☆☆☆☆:馬頭観音中原神社。馬の神様。
沖田畷古戦場:工場奥にひっそり石碑
沖田畷戦_島津家久本陣 ☆☆☆☆☆:丸尾城の向かい丘陵。
レンタカー-フェリー(島原→熊本)
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コメント
▼某掛川市民
原城はの出城と言われますが、有馬氏が手狭になった日野江城から移転を考えていたとすれば、合点がいきます。最大限の平場を確保しつつ、櫓と単純虎口で要所を締める本丸、谷のような堀、広大な二の丸以下を串団子のように配置(例 坂田城(*)) は、出城の域を完全に超えています。
(*) もっと適切な例えがあると思いますが..
朝鮮出兵の経験をもつ有馬晴信が1604年に原城を完成させるが、1612年に岡本大八事件により切腹。子の直純が所領を継ぐが、1614年 日向に転封。公領の時期を挟んで、1616年松倉重政が着任。しかし、島原を新しい拠点とした。
となれば、1615年 幕府が一国一城令を出しても、原城を積極的に廃城すべき人がいません。よって、1637年 島原の乱では、織豊期の最新鋭の城がそのまま籠城戦にもちいられたと考えられると思います。
一方、広大な城を守るための城兵はどうしたか? 実は、有馬直純の日向に転封のとき、有馬氏の一部家臣は直純には同行せず、帰農して残ったとのこと。
もう、城も兵もいるのですから、島原の乱というより、原城戦争ですね。
歴史背景については、「南島原市有馬キリシタン遺産記念館」で、職員の方が詳しく教えてくれました。有馬氏や原城のことは知るには絶好の施設です。夏は涼めますし。
# 諫早→島原は島原鉄道です。雲仙岳、有明海、そしてサッカーの国見駅も堪能しました。そして、前夜は原城温泉でひとっぷろでした。
投稿: kokky | 2019/08/03 07:42
15年前は島鉄の原城から行ったことがありますが、天気良いこともあり
天草方面の景色はなかなかすばらしく、日野江城の出城にしては
出来すぎだと思われました。
(一揆軍が、縄張りや石垣の構築をしたという説もありますが)
島鉄も廃止になったいまは、近くの温泉にひとっ風呂というの
一興でしょう。
投稿: 某掛川市民 | 2019/08/02 23:22