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2015/08/14

石垣丸出し@浜松城

150818_img_0571詳細は8/22の現地説明会でかな。去年の部分発掘から堂々公開です。

# 美術館(ふぅの宿題)→天守閣(大賑わい)→天守門(ジオラマ)→家康期の堀(断面図は市役所に飾ってね)→本郭南面の石垣(写真)→あさくま(ステーキで満腹!@株主優待消費)

# 頼むで、外出先でケンカしないでくれ...>母&ふぅ

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コメント

▼某掛川市民さん
>中世城郭の縄張りに近世城郭の体裁
10/17 岡崎市の講演会で、三浦せんせが岡崎城を同旨の解説をしていました。

>堀尾氏の居館って
浜松古城と天守曲輪が連携した城域を考えると、ご推察のとおり元城小か、天守曲輪の直下の本郭と考えるのが妥当と思います。(案外、こじんまりしていた?)
今の浜松市役所は、大半が徳川譜代で拡張された三の丸に含まれますので。

※ 8月の本丸南側石垣の公開で、浜松城の変遷として、4時代(*)の城域、居住地区、街道の変化を推測を交えて図示していました。
(*) 今川(16C前半)→徳川(1580年頃)→堀尾(1590-1600年)→徳川譜代(17C前半以降)

投稿: こっきぃ | 2015/10/25 06:35

掛川城もそうですが、浜松城も中世城郭の縄張りに近世城郭の
体裁をした感じはありますよね。
ところで堀尾氏の居館って二の丸のところだったのでしょうか?
松江城や掛川城のように平坦部の今の市役所あたりではなく、元城
小学校のところの、「二の丸上段」というべきあたりではなかったかと
思うのです。
で、改めて浜松城の縄張りを見ると、二の丸御殿から直接本丸に入れない
構造とか、浜松城鉄門前の空間が馬だし状になっているとか、名古屋城に
似ているように思うのですね。もしかしたら関ケ原以降、将軍家上洛の
ために大きく二の丸部が改変されているのではないかと思うのです。

投稿: 某掛川市民 | 2015/10/24 09:30

▼某掛川市民さん
再来年の大河の影響で、家康期の遺構探しになるかもしれません。

投稿: こっきぃ | 2015/10/18 18:37

元城小が事実上中学と統廃合されるので、
削平された本丸部東半分、鉄門、菱櫓の再建と
いきたいとこですね。
それだけでは芸がないので、どうせ文化財的価値が
失った本丸部に北から入れる地下駐車場はどうでしょうか。

投稿: 某掛川市民 | 2015/10/18 16:53

▼けんけんさん
この日はフルオープンでした。
天守台、天守曲輪の石垣との比較が面白そうです

投稿: こっきぃ | 2015/08/20 22:21

やっぱり石垣は全部見れるのですね。
8月上旬に展示館(^^;;;を見に行った時は、
ブルーシートで見えませんでした。
これは楽しみです。

投稿: けんけん | 2015/08/19 21:11

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