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2009/02/07

諏訪原城 現地説明会

090208__img_8890_2曲輪に、空堀に、馬出..。すべてにビック!な諏訪原城は、デカすぎて写真にならんし、深すぎて堀底へ降りることもできず、木々がうっそうとして暗いし(訪れる時刻が悪いだけ?)..。実は、あまり好みでない、お城なんです(いきなりスミマセン)。

ただ、口コミや新聞記事(カラー扱い)から、今回の現説会は見逃せない。ふぅ&しん ちゃんの子連れ状態となろうとも、駆けつけました。

午後の部は約40名ほど。現駐車場で概要説明を行ったのち、11号堀→12号堀(馬出)→4号堀沿い→3号堀(馬出)→乾曲輪【今回の発掘現場】と、二の曲輪・三の曲輪の外郭をめぐる、約40分のコース。

解説かぶりつき はあきらめ、シンガリを勤める我が家でしたが、3号堀で
・除草されキレイな馬出にみとれ(父ちゃん)
・葉っぱ拾いに忙しい(ふぅ&しん ちゃん)

の状況のため、我が道を進むことになりました。(^^;

それでも、全体説明が終了して発掘現場へ戻ってきた担当者から、つぎの話を聞くことができました(個人的見解も含む)。

a. 曲輪周辺の小石(20~40cm大)は、土塁の基礎として敷き詰められたもの。
b. 門の礎石が完全な姿ででることは珍しい。
c. 門の開閉方向は、扉止めの控石(2ヶ)から特定できる
d. 門・土塁・空堀で作られた乾曲輪 前面の空間は、外マス構造となること
e.外マス、およびそれより外側にいる敵兵に対し、乾曲輪、土塁、馬出から横矢がかけられる構造であること

そして、
f.遺構の性格・土木量を考察するとすると、築いたのは 徳川氏の可能性が高い。ただ、その時代は、対武田ではなく、対秀吉の可能性も否定できない。

f. に関して、諏訪原城で「秀吉」の名前が出てくるのは想定外だったから、衝撃でした。

なお、3号堀馬出~土塁(通路)~乾曲輪の組み合わせは、「提灯アンコウ構造」と勝手に命名させていただきます(笑)!

(理由)d.eのとおり、馬出から伸びる土塁(通路)の先端に乾曲輪があり、これが提灯となって敵兵をあつめる。集まった敵は、乾曲輪、土塁、(馬出)からの横矢で殲滅できる構造になっている。大島城(長野県松川町)[未訪]にも類似した構造があり、是非比較してみたい。

「なぜ、お城の北西端部に礎石の城門を築く必要があるのか」など、疑問は残っているが、来年度に実施される3号堀馬出の発掘によって、新しい見解が生まれるものと期待しております。

# ふぅ&しん ちゃん。付き合ってくれてありがとう..帰りのクルマは熟睡でした。
[写真] 発掘調査現場(乾曲輪から三号堀馬出を望む)
赤矢印が門の礎石、青丸エリアが外マス構造部、緑矢印が敵の侵入路

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コメント

▼ 三日月堀さん
武田氏が侵攻して築いたお城は類似性が多く、北関東のお城を見ると不思議と親近感を持つことがあります。なにせ静岡県は、武田系城郭にどっぷり漬っていますから(笑

頻度よくブログ更新できていませんが、今後もよろしくお願いします。

投稿: こっきぃ | 2009/03/26 06:25

はじめまして、
武蔵国の三日月堀です。
武田のお城や史跡をメインに、あちこち徘徊しています(^-^;
遠江のお城情報や、お子様との楽しいやり取り、以前より楽しくまた大変参考にさせて頂いています。
これからもこっきぃさんの地元ならではの記事、楽しみにしています。

投稿: 三日月堀 | 2009/03/24 20:50

▼某掛川市民さん
>外桜田門の構造
馬出の入口に構える門として類似性はありますね。ただ、外桜田門は内マス、諏訪原城は外マスであり、諏訪原城のほうが攻撃的と言えると思います。

投稿: こっきぃ | 2009/02/11 20:53

僕も同僚と行ってきました。
数年ぶりに行ったらえらく整備されて驚きましたわ。
件の「横郭」は外桜田門の構造と似ていると
感じるのは気のせいでしょうかね。

投稿: 某掛川市民 | 2009/02/11 08:49

▼けんけんさん
帰宅して気づいたのですが、現説会資料 1ページ目のイラストが、乾曲輪の様子を描いたものなんですね。

乾曲輪の機能については、「戦国の堅城II」で詳説されていました。

投稿: こっきぃ | 2009/02/08 16:24

お疲れさまでした。
あそこの構造が、一般に流布しているカラー挿絵とは違う
ことがわかり、横郭の意味は一応理解できました。

あの後、ちょっと思い立って積雲院(袋井市友永)に行って
きました。純歴史系の興味からです。
ここは源頼朝の次兄の朝長(義朝の次男。長男は義平。)の
墓があると聞いていたので。
実際は義朝、朝長、義平の供養塔があるだけですが、
義朝と義平の墓が他の場所に一応あり、伝承でも自害した
朝長の首を家来がこの地に持ち帰ったということなので、
朝長の墓ということで公開されています。
ただ、よくある寺の裏ではなく、参道の横にあるので
見逃しそうです。

もう一つ。寺の背後の山に古道らしきものが通っている
のですが、城郭遺構に見えて仕方なかったです。

投稿: けんけん | 2009/02/08 12:20

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