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2008/11/16

久野城址講演会(2)

081117__img_805中身が濃かった~~。前回に続き、久野城の講演会に参加。今回は、浅羽図書館で開催。隣接する市立浅羽郷土資料館で開催中の特別展を見た後、受付へ。開始20分前というのに、すでに30席ぐらいは埋まっていて驚きでした。
(事前募集の定員は100名..もっと会場大きくてもよかったかな?)

加藤さんは、地形や城郭パーツ(石垣、瓦など)の視点から、中世から近世へ変化した城郭の説明。三浦さんは、久野城の廃城時の建物競売のお品書きから、城の規模を説明。

大胆とも思える推測も交えながら、特異な久野城を見事にあぶり出してくれました。久しぶりに「気持ちイィ~」講演会でした
[写真] 講演会 開始直前の会場

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コメント

▼ 某掛川市民 さん
石高=生産力/収益力 と考えると、当時は「大きい者こそエラい」ということになるかな。最近の、米国ビッグスリー騒ぎと比較してしまった、ついつい(苦笑

投稿: こっきぃ | 2008/11/21 23:49

掛川や浜松に比べると当時ですら貧弱だったと推定されるのは、
いつの時代でも先立つモノがいると言うことでしょうか。
なまじ5万石程度でもあれば、もっと便利なところに
立て直したでしょうが、今頃はユンボとシャベルカーの
餌食になっていたでしょう。

投稿: 某掛川市民 | 2008/11/21 07:45

▼ 某掛川市民 さん
姫路城との類似性については、ナルホドですね。
姫路城の印象が薄れてきている(一時期は通った?ものだが)ので、出かけにゃいかんなとも思いました。

> 鳥取城、出石城の山上部、豊岡城
石高と城郭体裁の話は興味深かったですね。
例示いただいたお城、つまり戦国期の山城の麓に近世の城郭が築かれた場合、山城部の解釈はいろいろあるでしょうね。
ただ、破棄・放棄のほかに、「何かあったときの詰め城」の意義は少なからずあったと思います。

(*) 出石城の山頂部=有子山城

投稿: こっきぃ | 2008/11/19 23:21

石高に応じて城郭の体裁が暗黙に決められるという
加藤先生の話を聞いて、鳥取城と同じような状態の
出石城の山上部や豊岡城天守が放棄・解体された
背景が解りました。

姫路城との類似性を次のように感じ取れます。
久野城 - 姫路城
本 丸 - 本 丸
東の丸 - 上山里
二の丸 - 西の丸から天守付近まで

たまたま似たのでしょうが・・・


投稿: 某掛川市民 | 2008/11/19 07:56

▼ けんけん さん
お会いできなかったので、アレレと思っていました。
今回はよかったです。といっても、前回の話を聞けたから、
話の理解度が高まったわけですが。

▼ 某掛川市民 さん
ほんまかいな、と思い、両城の縄張図を並べてみました。
なるほど、下表のようにみれば、見れなくもないかな?
-------------------+------+---------
久野城 ・・・ 姫路城
-------------------+------+---------
本丸 ・・・ 本丸
二の丸 ・・・ 二の丸
南の丸 ・・・ 西の丸
大手~南の丸の水堀 ・・・ 三国堀
-------------------+------+---------

投稿: こっきぃ | 2008/11/17 23:30

私も都合がついたので入れてもらうことができました。

推定復元図を見て、姫路城の主郭部と微妙に似ていると
思いました。地形もさることながら流行の築城プランと
いうものも有るのでしょうかね。

投稿: 某掛川市民 | 2008/11/17 19:00

う~ん。残念。
体調不良により断念しました。

前回よりも盛況だったのですねぇ。
浅羽方面の人の方が興味のある人が多いということかな。

投稿: けんけん | 2008/11/17 07:58

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