舟岡山城の位置づけ
加賀といえば、前田家も手を焼いた一向一揆の国。その代表格・鳥越城から程近い舟岡山城の遺構は、在地の一向衆のものではなく、前田氏が入国直後に整備したものであると、地元研究家の石垣調査によって裏付けられた。
根拠はつぎの内容。
・信長が横死した天正十年ごろの石垣高さは4m以下とされるが、
船岡山城の石垣は高さ6m。また、算木積みが採用されている
・石垣の背面に砂利をつめて石積みを安定させている
・慶長以降に多用される「矢穴」が見当たらないこと
これらのことから、天正十一年(1583)に利家の妹婿である高畠定吉が入城した頃に、本拠金沢城の出城として築かれた(あるいは改修された)としている。
記事を読むと「なるほどナ」であるが、この船岡山城、なにも石垣に注目しなくても、明確な織豊系による築城技術「かほり」がプンプンなのだ。
それは台地端を分断する「横堀」の存在。昨年の盛夏の攻城で、下草が満載(しかも朝露にぬれ、ぐっちょり)にも関わらず、幅広な直線状の堀が方形郭の辺部を明確に区分する。シンプルでありながら、明確な意図による縄張であることを感じずにはいられない。
思えば、対佐々として加越国境から本拠・金沢城へ通じる街道を押さえるべく数多くの砦を築いたのが前田氏の築城方法。この代表格が松根城であるが、この城にも横堀が効果的に利用されている。このことを考慮すれば、この船岡山城も、直下を流れる手取川の上流にある鳥越一向衆に備えて前田氏が築いたと考えれば、合点がいくだろう。
金沢周辺の城は面白い~記事を読んで、また思い出してしまった..
[出典] 中日新聞(11/25)
http://www.chunichi.co.jp/00/ikw/20061125/lcl_____ikw_____000.shtml
[写真] 矩形に折れる舟岡山城の空堀。まさに興奮級。
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コメント
▼ KAI さん
縄張図から考えると鷹巣城の横堀と似ているのではと思います。
(鷹巣城はこっきぃ未攻城です(^^ゞ
前田 vs 佐々。加越国境での同門対決。
築城技術の革新期だっただけに、
資料を見れば見るほどヨダレがでてきます。
投稿: こっきぃ | 2006/12/04 18:13
あっ、しまった。また名前を入れ忘れた(^^ゞ
投稿: KAI | 2006/11/30 17:58
京都の船岡山城かと思ったら
鳥越城の近くにそんな城があったんですね。
鳥越城は最近行ったのになぁ
う~ん、いつも行き当たりばったりで、城めぐりしてるから(^^;)
ま、また目標が出来たということで
投稿: | 2006/11/30 17:57