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2005/10/29

高天神城で石敷遺構が発掘

高天神城(掛川市)の主郭直下にある的場曲輪にて、石敷遺構が発掘された。2003年の主郭発掘でも同様の遺構が発掘されており、倉庫の下敷きとして施されたものと推定される。

ということで、現地説明会へGO!..したいところだったが、前日に休出命令が発令中だった(泣)。ところが、あ~ぁと嘆いて出社したところ、突如「休出中止」に。天は我にお見方ぞ! 翌日、東名をかっとんで、現地に向かったことは言うまでもない。

ところが..

現説の予定時刻に少し遅れて到着したが、「翌日に延期になりました」と説明担当者。雨は降っていないものの、前夜の雨で遺構の石が動きやすくなっているため、翌日に延期したとのこと。まぁ、2003年の遺構を見ているので、この決定も致し方なし とナットク。

そのまま帰宅してもよかったが、しんちゃんと一緒だったので、お城で遊ばしていくことに。発掘遺構はブルーシートの下で、まったく見られなかったが、主郭や神社でイッパイ遊んで、しんちゃんは満足気だった。(神社のお清めの水で遊ばれたのには、マイッタが(^^;

なお、的場曲輪の石敷きには、疑問点が多いといえる。その目的(本当に倉庫の下敷きか?)や、石敷き遺構のない西域の城(堂の尾)との比較など、今後に興味深い課題が浮かび上がったと思う。

【出典】中日新聞(10/28):http://www.chunichi.co.jp/00/siz/20051028/lcl_____siz_____000.shtml

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コメント

▼ けんけん さん
> まさか、防御のために投げる石のストック・・・・・
意外とありえる話かも(笑)

発掘結果から、あれこれ考えるのも
また楽しいですね。専門家でなくて
よかったと思う瞬間です(^^;

投稿: こっきぃ | 2005/11/03 18:20

当初、全くの素人の思いつきとしては
地盤強化(崩れ防止)のためにつき固める手段として
石を敷いたのかと思ったのですが、それなら何層も積み重なって
いるはずですし、本曲輪に石敷があった(前回の説明会に
行っていないので場所がわかりませんが)理由としても
合わない気がします。
排水溝かな、という気もするのですが(素掘りより水が浸透しないので
地盤が柔らかくならずにすむかな、という素人考えです)
位置的にちょっと苦しいです。
う~ん。
まさか、防御のために投げる石のストック・・・・・
じゃないですよね。(笑)

投稿: けんけん | 2005/11/03 08:19

▼ けんけん さん
多分、わかると思います。
次回は声をかけさせていただきますね。

石敷きの問題ですが、
「お城の廃城当時に、石敷きが
使われていなかった」との解釈も
ありえるのかなと、ふと思いました。

つまり防御のため、石敷き部分を捨てて
土塁を設けたというわけです。

小石を敷く文化は、徳川も武田もあったとは
思えません。すると、この遺構はそれ以前
のものなのでしょうか?
そうすると、石敷きはお城とは関係ないものなのでしょうか?

...いろいろ「?」がでてきますね。

投稿: こっきぃ | 2005/11/02 23:56

ああやっぱり。

神社の階段下でお子さんを遊ばせていらしたのは
こっきぃさんだったんですね。
近くをうろうろしていた奴が私です。

説明会中止のすったもんだのあたりから
ひょっとしたらと思っていたのですが、
お子さんから目を離させてはいけないと思って
声をかけそびれてしまいました。

ところで翌日の説明会で
例の石敷が土塁の下に埋まって見つかったことについて
質問が出たのですが、これはどうも土塁が崩れて埋まった
ための現象で、石敷の上から土塁を積んだわけではない
との説明でした。
(土塁は積み上げ方式だが版築(字あってます?)ではないそうです。)
あと、鉄砲玉が2つ出た話ですが、翌日の説明では
その後もう1つ出たみたいです。
(簡易展示ケースで出土品の即席展示をしてました。)

投稿: けんけん | 2005/11/01 08:21

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