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2005/10/27

よみがえる日本の城24

前号にひきつづき、「天守」の総集編。破風や外壁などのパーツについて、実際の天守をもとに解説しています。実用性と装飾性が両立しているものほど、美しい(はず)...こっきぃ の持論です(^^;

今回の表紙に描かれた3つの天守。悲しいかな、どのお城のものなのか、1つもわからなかった。修行不足デス..。
【書籍】よみがえる日本の城24「天守のすべて2」(学研)

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コメント

▼ けんけん さん
今回の発掘成果は、見ごたえあったことと
思います。2003年度の主郭での成果は
確認しているとはいえ、今回の石敷きは
是非見ておきたかったと思っております。

けんけん さんが感じられたように、
高天神城は、主郭のある東域と
堂の尾のある西域で、
特徴がまったく異なりますね。
削平&土塁主体の東域に対し、
堀切や横堀主体の西域。
遺構からは、東域が古めかしい感じが
するが、すると、今回の石敷きはどう解釈
したらよいか...ナゾですね(^^;

二の丸南側の見晴台は、是非ご覧に
なってください。細尾根ながら、
丁寧かつ豪快に堀切で遮断しています。

投稿: こっきぃ | 2005/11/01 03:42

土曜日、日曜日とも行くはめになりました。
もっとも、説明会を兼ねて攻城するつもりでした。
土曜日は本丸、御前曲輪、三の丸方面と西の丸を、
日曜日には二の丸、堂の尾曲輪方面を攻めました。
物見台と犬走りは時間的に断念しました。
感想ですが、東峯にみるべきものはないですね。
発掘して何か出てきたという成果はいいのですが、
掘らない限り現況からそそられるものはないです。
それに対し、西峯はおもしろいです。
堂の尾曲輪方面の側面に長く続く空堀と通路、
縦に続く各曲輪を区切る堀切が印象的でした。
時間的、体力的(搦め手から登るとバテますね)に余裕がなく、
犬走りと物見台は断念しましたし、大手口からの登城も
断念しましたので、今後の懸案となりました。

説明会ですが、石敷の範囲と建物礎石の場所が
微妙に食い違っていて、建物が移動したとしてもちょっと違和感がありました。
移動すれば石敷をし直すだろうし、その石がそんなに沢山流れたとは考えにくい
からです。かといって建物床下に敷く以外の考え方は浮かばないのですが。
(本丸などに石畳が残っているなら石畳と考えてもいいかも)

今回の現説を機会にやっと高天神に行けました。
でもまだまだ行かなければならない所が多すぎます・・・。

投稿: けんけん | 2005/10/31 08:34

▼ KAI さん
伊予松山城を備中松山城と間違えた
こっきぃです。話になりませんね(^^;

▼ けんけん さん
高天神城の現説がこの時期にあるとは思いませんでした。石敷きの遺構は、高天神では倉庫の床下と推定していますが、鳥越城(石川県)では、「玉石周回路」つまり舗装道として利用していることを思い出しました。

現説は2003年と同様な内容になると思います。用事を片付け次第、駆けつけたいと思います。雨が心配かな?

投稿: こっきぃ | 2005/10/28 18:48

コメント元のタイトルとは関係ないんですけど・・・(^^;。

今週末(29日)は現地説明会が目白押しですね。
(そのうち2つは城と関係ないですけど)

大屋敷古墳群の現説は前から知っていましたが、今日になって
高天神城跡と新居関所跡の話を知りました。
大屋敷に行くつもりでしたが、高天神城跡の方にしようと
思っています。
朝ゆっくり寝てられないよぉ。

投稿: けんけん | 2005/10/28 09:23

>今回の表紙に描かれた3つの天守

◎松山天守
連立式の天守で大天守だけ取り出すと分かりづらいですね。
姫路の歴博で同様の模型を見たときに違和感を感じました。
◎寛永期の江戸天守
この図はよく見かけると思いますが
◎名護屋天守
これは分からんかった(^^;)
望楼型の5層天守っていったら候補はかなり限られますけど
名護屋までは思い至らなかった

投稿: KAI | 2005/10/28 07:11

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